声優小林清志の人生

小林清志(こばやし きよし、1933年1月11日 - 2022年7月30日)は、日本の声優・俳優・ナレーターです。 独特の渋く低く重いローバリトンの声で、声優界の草創期から活躍し、特に『ルパン三世』シリーズの次元大介役で50年以上にわたり知られるレジェンドです。東京俳優生活協同組合(俳協)の創立メンバーの一人でもありました。

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生い立ち

1933年、東京府東京市本郷区根津(現・東京都文京区根津)に生まれました。実家は株屋で、父親は兜町の証券会社に勤めていました。文京区立根津小学校在学中の5年生時、第二次世界大戦の影響で栃木県那須塩原や埼玉県加須に疎開。旧制不動岡中学校では卓球の県代表を務めました。

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学生時代は英語の成績が優秀で、高校時代(東京都立小石川高等学校)には高校生向け英語通信教育の添削指導のアルバイトをしていました。小説を書いたり読んだりするのが好きで、将来は作家を目指していました。東京大学受験に失敗(仏文科を受験したため)し浪人後、日本大学芸術学部演劇科に進学。最初は脚本家や作り手志望でしたが、大学の実習芝居で主役に抜擢されたのを機に演劇にのめり込み、役者の道へ進みました。

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キャリアの始まり

大学卒業後、国民文化研究所を経て劇団泉座に入団。舞台役者として活動しつつ、生活のために翻訳のアルバイトを始めました。1958年、舞台劇『ケイン号の反乱』の翻訳が評価され、大学の後輩である吹き替え演出家・小林守夫の縁で吹き替え翻訳の仕事が入ります。東北新社の植村伴次郎社長から「役者なんだろう?」と声をかけられ、吹き替え出演もスタート。これが声優業のきっかけとなりました。

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1960年、俳協の創立に参加。劇団泉座解散(1971年頃)後は声優業に専念します。当初は海外ドラマ『ジス・マン・ドーソン』で主演+翻訳を兼任するなど多忙を極めました。

主な活躍と代表作

・次元大介(『ルパン三世』シリーズ):1969年のパイロット版から2021年まで50年以上担当。ジェームズ・コバーンの吹き替え経験がモデルとなり、唯一のオリジナルキャストとして長く君臨。2021年に高齢を理由に勇退し、大塚明夫へバトンタッチ。最後の言葉は「ルパン。俺はそろそろずらかるぜ。あばよ。」でした。

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・妖怪人間ベム(1968年):ベム役。

・洋画吹き替え:ジェームズ・コバーン、リー・マーヴィン、トミー・リー・ジョーンズなどの専属。ジェームズ・コバーンは特に長く担当し、口の動きが似ていると言われました。

・その他:『機動戦士ガンダム0083』エギーユ・デラーズ、『デスノート』ワタリ、『パイレーツ・オブ・カリビアン』キャプテン・ティーグなど。ナレーションや特撮、ゲーム、CMも多数。

英語力が高く、翻訳家としても活躍。役者としてはヒールから正統派、個性的なキャラクターまで幅広く演じ分けました。声優という呼称を好まず「俳優」と自称するこだわり家でもありました。

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人物像と晩年

低く渋い声が魅力で、マイクポップフィルターを使わずキャラメルを食べて収録するなどのこだわりがありました。重度の喫煙者としても知られました。2017年に声優アワード功労賞、2018年に東京アニメアワードアニメ功労部門を受賞。2022年7月30日午前7時6分、肺炎のため89歳で死去。訃報は8月8日に公表されました。最後の仕事は同年7月4日収録の『AKB48 ネ申テレビ』ナレーションでした。健康だったが突然体調を崩し、家族に見守られながら息を引き取りました。

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小林清志の声は、日本のアニメ・吹き替え文化の基礎を築き、数世代にわたり愛され続けました。次元大介を通じて「渋さ」と「男らしさ」の象徴として、声優史に永遠に刻まれています。

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